信じがたいことに「大學生日記の続きが読みたい」という内容のメールが2通(天文学的数字)寄せられました。一個人に対し、全世界で二人もの人が期待して下さっているなら、それが何事であっても為さねばならないでしょう。もともと場つなぎで書いてみたものですから、ツキオカの筆が止まっている今、嫌がらせのように更新するのも一興か(誰にとって?)とも思いますので、ちょちょっとやってみようかと思います。


 「読んでやるかもしれないが、過去記事までさかのぼる気はないぞ。ラジオ投稿用のはがきを親に見られて、家出しかけたような経験のあるお前のようなやつの書いた文章なんてな!」


 という大半の方々のため、一応説明します。あと、遠い過去のトラウマに踏み込むのはなるべくお止め下さい。簡単にいいますと、「純文学風、青春グラフティ」みたいな感じで、第一話の書き出しは確かこんなでした。


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「彼女の淹れてくれたコーヒーは美味しかったなぁ」


 甘い回想に聞こえるだろうか。実際にはどうということもない、それでもまぁブラックコーヒーよりは多少甘く、いわば微糖な想い出である。さらに付け加えれば、「彼女」は「淹れて」くれたのではなく、「入れて」くれただけだ。


 大学の近くに喫茶店があった。「あった」というのは言葉どおりの意味で、今はもうない。お察しの通り、「彼女」はそこで働いていたウェイトレスである。ある人は「かわいい」というだろうし、ある人は「ふつう」というかもしれない。またある人は・・・いやいや。女性の容姿に対し、評価を下せる程の慧眼も自信も(あるいは既にその意欲すら?)持っていないキヨモトである。つまり、特筆すべきは彼女の・・・


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 そうです。この喫茶店を軸に展開する、恋愛あり、友情ありのいわゆる、「新進気鋭の監督さんが撮ったオシャレなんだけどイケイケじゃないくるりが主題歌を歌いそうな単館映画」テイストの作品なんですね。先ほどはああ言いましたが、まぁまぁ良かったら短いので読んでみて 下さい。ただ読まないでいただけるなら、それはそれでガッツポーズものです。結局言いたかったことは、全ては自由であるということです。書くことも書かないことも、読むことも読まないことも、純文学の定義も、ラジオにはがきを書くことも、そして嘘をつくこともです。どこにだって行けます。



 何話かを書き溜めておいた紙が紛失しました(簡単に消去できるのはデータですが、簡単になくなるのはいつも物質の方です)。大体一話20分ペースで書くのですが、記憶が多少曖昧になってしまっているので、確認が取れ次第書き出したいと思います(こういう風に考えず惰性で打っていると、後で見直したとき後悔や自殺願望をおぼえることが確定していますので、死ななければです)。